「でな、こないだの脱線事故ありましたやろ。けが人を近くの河原へピストン輸送しとったんですけどな、そんなかにちょっとこらかなわんなっちゅうブサイクが一人おりましたんや。そやけどそこはそれ、人命救助ですやん。ワイも我慢して座りこんどるのにちかづいて、ほなねえさんいくで言うてうしろから抱きかかえて持ちあげようとしたんですわ。そしたらそのブサイク、わいの手が触れるか触れんかいうところで、きゃあゆうて悲鳴あげてわいに肘鉄くらわしよったんですわ。わいもなんだかんだゆうて正義の味方であるまえにひとりの人間ですやん、カッとなってもうてな、『あほ、何ぬかしてけつかる。思い上がるんやないで。ワイにも好みがあるわ、誰がおまえみたいなずぼずぼまんこに欲情するかい。年中熱うなってだらだら汁たれながしとる淫乱まんこをちょお冷やしてこいや』ゆうてな、穴に人差し指突き刺してもちあげて、淀川に放り捨ててやりましたんや。案の定、突っ込んだ指の横からすきま風がびゅうびゅう吹いとりましたわ! ブシャ、ブシャシャシャシャ~ッ」
野卑な笑ひ声と共に純白のテエブルクロスへと唾液まみれの食物の欠片が撒き散らされる。唯一の照明で或るそれゞのテエブルに置かれたワイングラスの蝋燭が揺らめく。店の片隅から流れて来るジヤズの生演奏とあゐまつて、店内にはシツクなムウドが醸造されてゐる。パアやんの、何処か尋常の均衡を逸脱した笑ひ声は、店内の雰囲気と完全に不協和音を為してゐた。
私はげんなりとし、なんとなく食欲を失つてナイフとフォウクをそつと置ゐた。基より此の、鼻をすつぽりと覆つてしまふ逆さ洗面器をつけたまゝでは、殆ど食事を味わふこと等できなかつたのだが。私は組んだ掌に顎を乗せ、同じテエブルに座つてゐる面々を改めて眺めて見た。 対面に座り、ナイフとフォウクを持つた両手を高々と上に挙げたまゝ其れらは一向に使おうとせづ、顔を皿に突つこむやうにして左右に料理の汁気と唾液の混じつたのを激しく撒き散らし乍ら食事をしてゐるのが、パアやんである。丸々と太つた血色の良ゐ顔を緑色の逆さ洗面器の中に無理矢理に押し込み、其の巨躯に付着した大量の肉の余り分をズボンのベルトの両脇へと盛大に垂らしてゐる。養豚場の豚を新聞の風刺漫画風にカリカチユアライズすると正に之のやうになるかも知れぬ。
「なんや、食べませんのかいな。食べませんのやな」
私の視線に気がつゐたのか、料理の油と生来の皮膚の脂でべとゞになつた顔を上げて、未だ口の中に在る咀嚼途中の食べ物を口の両端から盛大に零し乍ら、パアやんは云つた。私は其の醜態を眼球が捉えぬやう其れとなく焦点を外しつゝ彼の顔に視線を遣り、うなづひた。
「食い物は粗末にするなゆうのがわいの家の代々の家訓ですねん。ほな、遠慮のういただきまっさ」
パアやんは長ゐテエブルの上に身を乗り出すと、トゞの匍匐前進のやうに這いよつて来、私の食べさしの皿を横抱きに奪つてゐつた。パアやんは自分の口腔に容量以上の物を纏めて押し込み、口を開ゐたまゝくちゃゝと咀嚼を開始する。
私は其れ以上見てゐられなくなつて、テエブルの左へと視線を移した。其処には果たして蜜柑色の逆さ洗面器を装着した巨大なエイプがゐた。皿の上の肉の塊を手掴みに取り上げてかぶりつひてゐたエイプだが、私の視線に気が付くと黄色ゐ乱杭歯を剥き出しにしてキイゝと金切り声を上げ、激しく威嚇して来た。私は軽ゐ眩暈を感じつゝも、両手を挙げてエイプに敵意の無ゐ事を示し、更にテエブルの真ん中に置かれてゐる装飾用の果物篭を指差した。エイプは忽ち其れに興味を抱き、肉の塊を後方へと放り投げると、テエブルへ昇つて果物篭からバナゝを取り上げた。
「ブシャ、ブシャシャシャシャ~ッ。チンポみたいでんな。ほら、そのバナナですわ、リーダーはん。チンポみたいやと思いまへんか」
私は其れ以上見てゐられなくなつて、テエブルの右へと視線を移した。其処には。嗚呼、パア子よ。赤色の逆さ洗面器を装着した、華奢な少女が其処には居た。
私はパアやんとエイプに気取られぬやうにパア子の方へと手を伸ばし、そつと其の白魚のやうな小指に小指で触れた。パア子はびくりと身体を震はせると、私の目を瞬間、まつすぐに見た。だが直ぐに、逆さ洗面器の黄色ゐ隈どりから突き出した憂ひに曇る長ゐ睫毛を、そつと伏せてしまふ。嗚呼、パア子よ。君は昨日我々の間に訪れてしまつたインテメエトなムウドを怖れるやうに、酷くよそゝしく振る舞ふのだな。私のする執拗なパアタッチにみるゝ薔薇色に染まつてゐつた其のきめ細かな純白の肌。
私は態とナイフを床に落とすと、拾ゐに来るウエイタアを手で制してテエブルの下へと潜り込んだ。ナイフを拾う動作と共に、タキシイドの胸元から取り出した紙片をパア子のほつそりとした両脚の上へ置く。其処には私の、些か青臭くはあるが、今の彼女への情熱の凡てを込めたポエムがしたゝめられてゐる。私が再び席に腰を下ろすのと、パア子が紙片に気づくのは殆ど同時だつた。
「あ。このエテ公め、何してけつかる! それはわいのソーセージや、かえさんかいな!」
パアやんは大声を上げると、ガラスの水差しを持ち上げ、エイプの逆さ洗面器に覆われた脳頂へとしたゝかに打ち付けた。エイプは堪らずソオセエジを放り投げると店の反対側へと待避し、幾度も飛び跳ねてはキイゝと抗議の鳴き声を発する。
「まったく油断も隙もあったもんやないで。あ、パア子はん、わかってる思いますけど、いま”わいのソーセージ”ゆうたのは、わいの自前のソーセージがこれと同じくらいの大きさやゆう意味では決しておまへんで! ブシャ、ブシャシャシャシャ~ッ」
パア子は其れに小さく「えゝ」とだけ答へると、紙片を握りしめた掌を開かぬまゝトイレへと席を立つた。私は其の後ろ姿を凝と見つめる。嗚呼、パア子よ、私の愛しひ白百合よ。
其の時、私の彼女を見送る視線に特別な物が含まれてしまつたのか、何かを察したパアやんが此方へと大きく身を乗り出して来た。
「あかん、あかん。あんさんには痛い目におうて欲しくないから老婆心で忠告するんやけど、あの女はやめといたほうがええで」
私はパアやんの云ふ内容を掴みかねて、思はず彼を見返した。
「わかりまへんか。あんさんはどっかうぶなところがあるよってに。どうか、怒らんと聞いてや。あの女、な、……やというもっぱらの噂やで。わかりますかいな。だれとでも寝るんやそうや」
私の中で一瞬言語が崩壊し、其の意味を理解するのに数秒を要した。パアやんは女性に対する最大級の蔑称を口にしたのだつた。彼に其処だけ声を潜めるやうな、ゐさゝかの常識が備はつてゐたのは、僥倖で或ると云はねばならなゐだらう。
私は胸元からナプキンを引き抜くと、怒りを隠そうとせづに勢ゐ良く立ち上がつた。
「あ、怒りましたんかいな。怒りましたんやな。けど、ええ、わいは本当のことをゆうたんですからな。確かに忠告しましたからな!」
私はもう其の言葉を聞ゐてゐなかつた。クロオクに預けた空中浮揚外套をウエイタアより受け取ると、私は出口の扉へ手を掛けた。
「カバ夫とも、あのエテ公ともすでに寝たいう噂やで! 獣姦やがな! こらもう獣姦ですわ! まぁ、あの女が……ならわいはさしずめイージーライダーちゅうとこやけどね! どの女の腰にも簡単にまたがるんや! ゆうておくけどな、リーダー、今のは”いい自慰”とかかっとるんでっせ! ブシャ、ブシャシャシャシャ~ッ」
店の外に出て見上げると、星はネオンに掻き消され、月は厚ゐ雲の向かうに隠れてゐた。嗚呼、パア子、私の白百合よ。
突如、胸の目玉バツジが高らかに緊急の音を発した。私は其れを敢へて無視して手早くマナアモオオドに切り替へてしまふと、外套を羽織り空へと浮揚する。無性に月が見たくなつたからだ。